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芥川竜之介の死
あくたがわりゅうのすけのし
作品ID59327
著者萩原 朔太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「萩原朔太郎全集 第九卷」 筑摩書房
1976(昭和51)年5月25日
初出「改造 第九卷第九號」1927(昭和2)年9月号
入力者きりんの手紙
校正者岡村和彦
公開 / 更新2020-07-24 / 2020-06-27
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 七月二十五日、自分は湯ヶ島温泉の落合樓に滯在してゐた。朝飯の膳に向つた時、女中がさりげない風でたづねた。
「小説家の芥川といふ人を知つてゐますか?」
「うん、知つてる。それがどうした?」
「自殺しました。」
「なに?」
 自分は吃驚して問ひかへした。自殺? 芥川龍之介が? あり得べからざることだ。だが不思議に、どこかこの報傳の根柢には、否定し得ない確實性があるやうに思はれた。自分はさらに女中に命じて、念のために新聞を取り寄せさせた。けれども新聞を見る迄もなく、ある本能の異常な直覺が、變事の疑ひ得ないことを斷定させた。
 何事か、ある説明のできない不安な焦燥と、恐怖に似た眞青の感情とが、火のやうに自分の全神經を驅けまはつた。彼、つい旅行に出る數日前に、あれほど親しく逢つて話した彼が、眞實にも自殺をしたのだ。何たる意外、何たる青天の霹靂だらう。むしろ自分は、荒唐無稽の夢にうなされてるやうな感じもした。しかし心の隅の一方では、どこかまたそれが豫期されて居り、或る自覺のない意識の影で、内密のものに觸れたやうな思ひもした。
「やつたな!」
 新聞の寫眞を見た時、悲痛に充ちた自分の心は、唇を噛んで低く呻いた。自分は苦しくなり、恐ろしくもなつてきた。頭腦が急に充血して、何事も考へることができなくなつた。何かしら、これは大變な事件だと思つた。じつとしてゐる場合でないと思つた。そして夢遊病者のやうに立ちあがり、半ば馳足で川上にある旅館をたづねた。その旅館(湯本館)には尾崎士郎君の夫妻が居た。尾崎君は吃驚し、呆然とし、それから異常な感激にうたれて立ちあがつた。最近尾崎君は、私を通じて芥川君の人格につき知る所が多かつたのである。



 何故に芥川龍之介は自殺したか? 自殺の眞原因は何であつたか? 思ふにそこには、いろいろな複雜した事情がある。故人の多數の友人たちは、種々の異つた見解から、夫々の意見を語るだらう。自分について言へば、自分は彼の多數の友人――實に彼は多數の友人と交つてゐた――の一人であり、しかも交情日尚淺く、相知ることの最もすくない仲であつた。しかもただ、自分が彼について語り得る唯一の權利は、あらゆる他のだれよりも、すべての彼の友人中で、自分が最も新しい、最近の友であつたといふことである。
 この「最近の友」といふことに、自分は特に深い意味をもつて言ふのである。何となれば彼の最近の作風には、一の著るしい變化と跳躍とが見られるから。そしてこの心的傾向には、しばしば私と共鳴同感するものを暗示するから。何故に彼が、あの文壇の大家芥川龍之介君が、私の如き非才無名の一詩人に對して、特別の好意と友情とを――時としては過分の敬意さへも――寄せられたかといふことは、今にして始めて了解出來たのである。



 室生犀星君は、最近における故人の最も親しい友であつた。室生君と…

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