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所得人 室生犀星
しょとくにん むろおさいせい
作品ID59332
著者萩原 朔太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「萩原朔太郎全集 第九卷」 筑摩書房
1976(昭和51)年5月25日
初出「文藝 第四卷第六號」1936(昭和11)年6月号
入力者きりんの手紙
校正者岡村和彦
公開 / 更新2021-03-26 / 2021-02-26
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 世には二種屬の人間がある。一方の種屬の者は、いつもムダな死金を使ひ、時間を空費し、無益に精力を消耗して、人生を虚妄の悔恨に終つてしまふ。彼等は「人生の浪費者」である。反對に他の者は、物質上にも精神上にも、巧みにそれの最高能率を利用して、人生を最も有意義に處世する。彼等は「人生の所得者」である。
 ところでこの前者の範疇は僕であり、後者の典型は室生犀星である。室生犀星は、自ら風流人を以て任じ、且つ風流の幽玄な哲理をよく説いてる。僕は風流について深く知らない。だがもし――或る人が利休に關して述べたやうに――風流といふことの生活的レアリチイが、經濟學的利用價値に於ける美の創造(廢物利用としての簡易美的生活)と言ふことになるとしたら、わが室生犀星の生活樣式などは、全く風流の極意を捉へたものである。物質上でも、時間上でも、室生ほど人生をよく利用し、一分のムダもなく生活してゐる人間はない。この意味で、彼の人生は全くエコノミカルである。しかしこの場合でのエコノミストは、世俗のいはゆる「しまり家」とは意味がちがふ。反對に彼は享樂家であり、人生の快樂すべきこと、遊戲すべきこと、美を樂しむべきことをよく知つてる。その上金づかひも鷹揚であり、友人への義理も厚く、ケチなところは少しもない。それで居て、彼の使ふすべての金が、一錢のムダもなく利用されてる。つまり彼は、決して「死金」を使はないのである。しかもそれは意識的に、彼の經濟學的觀念――彼にはそんな觀念が少しもない――でするのでなく、天性の生れついた本能から、無意識の動物叡智でやつてるのである。
 昔、ひどく窮乏してゐた書生時代から、彼はさういふやり方で生活して居た。その頃本郷の或る家に間借りして居た彼は、三度の食事にも缺乏するほどの貧しい身分で、金一錢の餘裕を見つけ、どこかで一本の西洋蝋燭を買つて來る。そして清潔によく掃除をした、何一物もない部屋の中で、それを机の上に立てて置くのである。するとその白い蝋燭が、簡素で明淨な部屋と調和し、いかにも貴重で藝術的なものに見えるのである。
「どうだ。おれは金一錢で人生を樂しむ術を知つてる。」
 と、その頃よく彼は自慢をしたが、つまり彼は天性的に、風流といふことの極意(エコノミカル・ヒロソヒイ)を知つてゐるのだ。
 その頃彼の机の上には、時々また色々な變つたものが置いてあつた。或る時は玩具の鳩笛が置いてあつた。子供の吹く素燒の笛で、駄菓子屋で三錢ぐらゐで賣つてる品だが、室生はそれをれいれいしく、寶物のやうにして机の上に飾つて置くのだ。そして人が訪ねて來ると、時々その笛をポーポーと鳴らしながら、
「こいつを吹いとると、人生の寂しさを忘れるわえ。」
 といふやうなことを言ひながら、勿體らしくまた机の上に飾つておくのだ。飢餓と窮乏に惱まされてた當時の詩人犀星が、その鳩笛を鳴らしてる樣子は、實際ま…

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