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田端に居た頃
たばたにいたころ
作品ID59397
副題(室生犀星のこと)
(むろおさいせいのこと)
著者萩原 朔太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「萩原朔太郎全集 第八卷」 筑摩書房
1976(昭和51)年7月25日
初出「驢馬 第二號」1926(大正15)年5月号
入力者きりんの手紙
校正者岡村和彦
公開 / 更新2020-03-26 / 2020-02-21
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 鎌倉へうつつてからは、毎日浪の音をきくばかりでさむしい。訪問者も絶えて無いので何だか昔の厭人病者の物わびしい遁世生活を思ひます。西行といふ昔の詩人は、特別にかういふ生活の情趣を好んだらしい。「鴫立つ澤の秋の夕ぐれ」などといふ歌をよむと、昔の厭世主義者の詩境がよくわかる。しかしあれは茶の湯や禪味と關聯した「侘しさ」のあはれであつて、現代人たる僕等の氣分とはぴつたりしない。近代の厭人病者は、むしろ都會の雜鬧中に孤獨で居ることは好んでも、かういふ閑寂の自然の中に孤獨でゐることは好まないだらう。
 しかし僕の厭人病も、年と共に益[#挿絵]ひどくなつて行つて、今では病がコーコーに達した感がある。訪問者のないのは此方から逃げてゐるからで、自分で孤獨を求めてゐるやうなものである。尤も「人嫌ひ」は一つの惰性的の習慣で、つまり交際がおつくふになるのである。これにつけても子供の教育は大切で、早くから人に慣れるやうに交際社會へ出してやらぬと、皆私のやうな變人になつてしまふ。

 田端にゐた時のことを思ひ出す。今からみると、あの頃の身邊は可成賑やかだつた。尤も田端といふ所は、妙に空氣がしづんでゐて、禪寺の古沼みたいな感じがするので、僕としては甚だ趣味に合はなかつたが、それでも夕方から夜にかけては動坂の通りが賑やかで、怪しげなカフエなどへ行くのが樂しみだつた。鎌倉へきてはさうした散歩の樂しみもなく、材木座あたりの眞暗な別莊地帶で、夜も遲く犬が鳴いてゐるばかりである。
 田端にゐた頃は、毎日室生犀星と逢つてゐた。犀星とは私は、昔から兄弟のやうな仲ではあるが、二人の氣質や趣味や性情が、全然正反對にできてゐるので、逢へば必ず意見がちがひ、それでゐてどつちが居なくも寂しくなる友情である。田端に住むやうになつたのも、實は室生の親切な世話であつたが、私が土地を讚めない上に、却つて正直な感想をもらしたので、甚だ犀星の機嫌を惡くした。
「君はどこに居たつて面白くない人間なのだ。」
 これがその時の應接だつたが、言はれてみると全く私はそんな人間なのだ。「どこにゐても滿足しない」、恐らくこれが私の生涯の運命だらう。犀星は怒るといつも私の急所に辛辣な斷定をあたへてしまふ。それが後に反省すると盡きない哲理をふくんでゐる。しかし彼は一國者で、何でも自分の主觀で人のことまで押し通し、それが意の如くならないといつて腹を立てる。成程、田端の情趣が彼の俳句的風流生活と一致してゐることを、後になつて私は悟つた。しかし私の趣味としては、もつと空氣の明るく近代的で、工場や、煙突やが林立し、一方に生産的市場が活動しつつ、一方に赤瓦の洋風家屋などの散見する情趣、即ち大都會の郊外にみる近代的生活の空氣がすきなのだ。だから以前に居た大井町などは、所としては殆んど理想的に氣に入つてゐた。尤も私の住んでゐた附近は、文字通りにひどい所…

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