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海の青と空の青
うみのあおとそらのあお
作品ID59654
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「春夏秋冬 料理王国」 ちくま文庫、筑摩書房
2010(平成22)年1月10日
初出「独歩 三、四合本号」1953(昭和28)年7月
入力者江村秀之
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2020-09-05 / 2020-08-28
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 春の海はひねもすのたりのたりとしているそうである。
 夏の海はつよい太陽の光をはねかえして輝き渡る。海も光るが、沖の一線にもくもくと盛り上った入道雲も輝く、空も輝く、海に遊ぶ人々の肌も輝く。
 秋の海は、夫を失った夫人のたたずまいのようにさびしい。
 それから、冬の海は、かたくなに黙っているかと思うと、時たま心の底から怒りを発した如くに怒号する。逆浪は光をかんで暗黒の空に星影はなくとも、高波のしぶきは、瞬間の幻のように岩にくだけ、天にそそりたつ。
 春秋の海底には、かぞえ切れない魚類の世界がある。潮の流れにのって移動する魚群があるかと思うと、波をけって海上に飛翔する魚たちもある。少し深いところに住む魚たちはその肌の色も、浅いところに住む魚たちとはちがう。水に泳いで生きる魚たちばかりではなく、海の底の砂にも、岩にも、生きものはそれぞれの場所を占めて居をかまえている。
 あわびは、ぴたりと岩にすいついて、いかなる敵さえも、その硬い貝を抱きおこすことはできないと思える。が、こんなあわびの執念ぶかい執着をもはがす奴がいる。たとえば、タコである。タコは、坊主あたまを斜めに泳がせてあわびに近寄る。そしてその足で、あわびの貝にあけられた穴窓をすべてふさいでしまう。あわびは、息ぐるしくなって、そっと体を岩から離さねばならぬ。この時こそタコの待ちもうけていた決定的瞬間なのである。早速坊主はあわびをさらっていって、御馳走になる。この坊主は、そうした万端をひとりで片付けてしまうらしい。だから、タコの住まいのまわりは、おびただしい貝がらの城壁でかこまれている。城壁の中では、生ぐさ坊主が、いいきもちで眠っている。貝がらの城壁の中に眠っているのを知っている大きな魚は、突然これをおそって食らうのだ。また、うんと深海には、自分の体から光を発して、暗い暗い、少しも光のとどかぬ深海をゆうれいのようによぎる魚がある。また、頭の先にランプをつけたような奇怪な魚は、ランプをかざして獲物をあさり歩いている。
 静かな海の底にも、号泣する嵐の海底にも、彼らの絶え間ない闘争は果てしなく行なわれ、強いものと、弱いものの戦いは、終ることなくつづけられているのだ。カニは、つめをふりたてて、横ばいをしながら、砂地からエモノをさがして食う。月夜ともなれば、月の光の明るさに、虫たちは、カニの姿を見つけていち早く逃げてしまう。カニが目玉をつき出してさがしても、なかなかエモノは手にはいらぬ。そこでカニは、ひもじい腹をかかえやせる。月夜のカニはやせてまずいと、人はぼやく。かと思うと、月夜に、海の底から砂地に這上って、砂に卵を産みにくる海がめもいる。魚や、貝だけではない、海底や岩上には緑、茶、紅などの、色さまざまな藻類が波のまにまにゆれている。
 人間たちは、このかぎりなく広い深い海の底から、幾ひろの波の間から、魚を、貝を…

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