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蒲原有明氏の近況を聞いて
かんばらありあけしのきんきょうをきいて
作品ID59979
著者萩原 朔太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「萩原朔太郎全集 第八卷」 筑摩書房
1976(昭和51)年7月25日
初出「文藝春秋 第六年第一號」1928(昭和3)年1月号
入力者岡村和彦
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2021-02-03 / 2021-01-27
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 日本の詩壇は、過去に於て凡そ三期の峠を越して來てゐる。第一期は所謂新體詩時代であつて、その完成者は島崎藤村氏等である。第二期は新體詩から自由詩へ、浪漫派から象徴派に移つた過渡期であつて、その目ざましき完成者は蒲原有明氏であつた。最後に第三期は文章語自由詩の黄金時代で、之れは北原白秋氏と三木露風氏とで代表されてる。
 この以上三期の中、我々にとつて最も記念の深いのは第二期である。なぜならば今日我々の意味する詩は、第二期に於て始めて完成された上に、後の北原氏や三木氏等の詩句スタイルが、著るしく前代の影響を受けてゐるからである。この意味で蒲原有明氏は、日本近代詩壇の父とも稱すべき先輩であるだらう。それはとにかく、蒲原氏が詩壇を去つてから既に二十年近くにもなる。僕等は正に殆んどこの大先輩の名を忘れ、生死のほどさへ知らずに居た所、最近突如として雜誌『近代風景』に詩を寄せられたのを見て、僕は『モネーもまだ繪を描いてる』といふ言葉を思ひ出し、一種の妙な感慨にうたれざるを得なかつた。
 所が最近北原白秋氏を訪ひ、蒲原氏の寂しい生活近況を聞くに及び、とりわけやるせない憂愁と鬱憤に驅られてしまつた。あの短かく花やかだつた詩壇の生活を去つてから、氏は靜岡の田舍にかくれ、靜かに茶ノ湯などして隱遁の生活を送つて居たのだ。文壇は全く氏を忘れ、氏もまた文壇を忘れてゐた。そこには物しづかな、侘しい無爲の日が續いてゐた。
 北原氏が靜岡に遊び、氏の寓居を訪はうとした時、町の何人も蒲原氏の名を知らず、この知名な大詩人の寓居について、一もアドレスを知ることができなかつたさうである。遂に最後に、漸く一軒の花屋によつて氏の宅を教へられた。しかもその花屋の曰く。アアあの生花師匠のとこの御主人ですかと。けだし有明氏の夫人が[#挿絵]花の指南を職として居られるからである。
 後世の日本文學史上に特筆さるべき一世の大詩人が、狹い田舍町に於て全く人に知られず住み、世捨人の侘しい隱遁生活をしてゐることを考へると、それだけでも自分は無量の感慨にうたれるが、さらに蒲原氏によつて直接訴へられた所を傳聞するに及び、自分は押へられない憂鬱と憤怒に驅られた。白秋氏を通じて聞く所によれば、この物侘しい先輩の閑居を、それでも時々訪ねてくる地方の文學青年があるさうである。それらの青年たちは、たいてい靜岡や名古屋に住む若い詩人の連中だが、その蒲原氏に對する態度たるや、驚くべく無禮傲慢を極めたものであるさうだ。
 此等の氣まぐれの訪問者等は、始めから蒲原氏の事業と名聲を全く知らず、同輩の友人扱ひにして話しかけるさうである。さらに甚だしきはこの老年の大先輩に對し、傲然後輩扱ひにする者さへあるさうだ。思ふに此等の青年たちは、最近一二の雜誌に現はれた詩によつて、始めて蒲原有明なる名前を知り、自分等より尚後輩の新進詩人――老年の新進詩人―…

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