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歳末に近き或る冬の日の日記
さいまつにちかきあるふゆのひのにっき
作品ID60076
著者萩原 朔太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「萩原朔太郎全集 第八卷」 筑摩書房
1976(昭和51)年7月25日
初出「新潮 第二十五年第四號」1928(昭和3)年4月号
入力者きりんの手紙
校正者岡村和彦
公開 / 更新2020-11-01 / 2020-10-28
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 詩人協會の用件にて高村光太郎氏を訪ふべく、前夜福士幸次郎君と約束がしてあつたので、萬世驛のミカドで待合せをする。時計は午後一時五分前、約束より五分早く、福士君はまだ見えてゐない。福士君については從來深く交際したことがないので、實際の人物はよく知らないけれども、噂によれば言語道斷のズボラもので、時間の觀念など全くない人のやうである。今日もことによると、約束のことなど忘れて居るかも解らない。少々心細く、一人でビールを飮んでる所へ、にこにこしながら這入つてきた男がある。やつぱり福士君だ。
「やア、失敬失敬。約束より五分遲れた。」
と言ひながら、例の長廣舌で滔々としやべり始めた。財布を忘れて來たので、乘合自動車の女車掌がやさしく同情し、切符を貸してくれたといふのである。いかにも福士君らしい話だ。かつて讀んだことのある――そして今でも印象に殘つてゐる――福士君の詩「踏切番の娘」を思ひ出して、或る性格のもつ素朴さに感動した。この人の好印象は、殆んど底ぬけのお人好しと、農民的の素朴さと、北國的の憂鬱感と、大陸的のヌーボーとが、漠然たる色彩で神祕的に混同してゐる所にある。それで僕は、大にこの好詩人を愛敬し、以後「露西亞長靴」といふニツクネームで呼ぶことにした。
 時間が迫つたので、圓タクを飛ばして高村氏を訪ふ。丁度外出に出た高村氏と、うまく坂の途中で逢ふ。危ない所であつた。僕が前に高村氏を訪うたのは、三年以前、田端に居た時であつたが、何時來ても氏のアトリエは同じであり、思ひ出が非常に深い。僕がまだ無名作家で、室生と二人で東京にごろごろしてゐた頃、圖々しくもよくこのアトリエを訪ねたものだ。その頃先輩の高村氏は、僕等に親切にしてくれたので、一層思ひ出が深いのである。しかしその頃からみると、室内の調度や家具が古くなり、ハタオリ器械や、酒場の招牌や、腕の缺けた彫刻や、壞れた車輪や、投げ出された椅子などのガラクタ(と言つては失禮だが)に年代の錆がついて、大へん雅趣が深くなつた。僕はこのアトリエから、いつも中世紀の版畫に見る「煉金學者の書齋」を聯想する。實際また高村氏には、どこか西洋仙人の風格がある。
 たまたま尾崎喜八君來る。高村氏はうなづき、尾崎君は默し、福士君最もよく語る。この人一度口を開いては、饒舌多岐に亙り盡きる所を知らない。關東人である僕の性急と、東北人たる福士君の大陸的悠長とは、殆んど耐へがたきコントラストだ。好詩人露西亞長靴。この點で僕を苛だたせる。辭してアトリエを出て、歸途室生犀星君を訪ふ。席上「驢馬」の宮木喜久雄「青空」の三好達治の二君あり。一同と共に夕餐を馳走になる。室生君元氣横溢、しきりに僕に挑戰すれども、僕避けて爭はない。ただ酒肴のよく整ひて美なるを賞す。之れ室生君家庭の一徳なり。僕の如き鹽センベイにて晩酌する徒輩にとつて、室生君酒席の贅澤は羨望の至りである…

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