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中央亭騒動事件(実録)
ちゅうおうていそうどうじけん(じつろく)
作品ID60077
著者萩原 朔太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「萩原朔太郎全集 第八卷」 筑摩書房
1976(昭和51)年7月25日
初出「日本詩人 第六卷第六號」1926(大正15)年6月号
入力者きりんの手紙
校正者岡村和彦
公開 / 更新2020-05-11 / 2020-04-28
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 先月、中央亭で催された日本詩集の記念會で、僕がつまらぬことから腹を立て、會場をお騷がせしたことを謝罪する。もとより酒席の出來事であり、根も葉もないその場限りの一些事で、とりたてて言ふほどのことでもないが、とかくかういふことはゴシツプ的に誤傳されて、意想外な風聞を立てられたりするので、逆にこつちから手[#挿絵]しをして、ありのままの事實を報告しておかうと思ふ。

 事の起りは野口米次郎氏に始まつてゐる。丁度宴會の半ば頃、指名のテーブル・スピーチが始まつた時であつた。私の隣席に居た野口米次郎氏が、立つて一場の所感を演説された。その演説の意味はかうであつた。雜誌「日本詩人」が自分のために評傳號を出してくれたことを感謝する。しかしあの雜誌をよんで甚だ不滿に耐へなかつた。何となれば執筆者の米次郎論が、すべて皆退屈らしく、いかにも義務的の態度で書いてあつたからと。それから氏は言葉をつづけて、若山牧水氏の雜誌に書いた私の野口米次郎論にも、大に不滿の點があることを述べられた。
 野口氏のこの演説は、私を非常に感動させた。野口氏が孤獨な人であり、世に理解されない心情の所有者であることを、私は前から深い興味と愛敬とで眺めてゐた。野口氏の本質的心境たる熱情を、世間の人は殆んど知らず、皮相なる氏の表皮からして、いたづらに氏をクラシツクの詩匠として所謂「世界的詩人」の無意味な神殿に祭りあげてる。日本の詩壇一般、及び淺薄なる世間の俗見が見る野口米次郎氏は、正に世界的詩人の無意味な空語で「神殿に奉られてゐる道化者」の觀がある。
 詩人的敏感性の著しい野口氏がいかにしてこの孤獨を感じないことがあるだらう。思ふに故國における野口氏の不滿と寂しさが此所にある。他のことはともあれ、野口氏の性格にみるこの不可解の孤獨性、それから生ずる人生的熱情を氏に感ずるとき、僕はこの先輩に對して純一の愛慕を感ぜずに居られない。雜誌「日本詩人」に掲載された多くの人の評傳が、この意味でたしかにまた野口氏を寂しくさせてる。前に私もその雜誌をよみ、朧げながら感じてゐたが、今野口氏自身の口からして、この悲痛なる訴をきき何とも言へない無限の感激にうたれてしまつた。のみならず私自身すらが、他の雜誌の評傳で野口氏の外形を皮相に書きすぎた。その評傳は無造作にすぎ、言ふべき本質のものに觸れて居なかつた。そこで野口氏が之れに不平し、最後に「萩原君の見る所にも不服である」といふ意味を述べられた時私は先輩に對する愛と自責で、自ら激動した感情を押へることが出來なくなつた。尤も可成に酒が[#挿絵]つて居たので、一層氣分が誇張されて居たことも事實である。
 私は興奮して立ちあがつた。そして幹事の指名も待たずに勝手の演説を始めてしまつた。その意志では野口氏の世間的に孤獨の人たる事實を述べ、いかにこの先輩の心境にまで、詩人としての深き愛慕を感ず…

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