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神神の微笑
かみがみのびしょう |
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作品ID | 68 |
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著者 | 芥川 竜之介 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「芥川龍之介全集4」 ちくま文庫、筑摩書房 1987(昭和62)年1月27日 |
初出 | 「新小説」1922(大正11)年1月 |
入力者 | j.utiyama |
校正者 | かとうかおり |
公開 / 更新 | 1998-12-19 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 19 ページ(500字/頁で計算) |
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ある春の夕、Padre Organtino はたった一人、長いアビト(法衣)の裾を引きながら、南蛮寺の庭を歩いていた。
庭には松や檜の間に、薔薇だの、橄欖だの、月桂だの、西洋の植物が植えてあった。殊に咲き始めた薔薇の花は、木々を幽かにする夕明りの中に、薄甘い匂を漂わせていた。それはこの庭の静寂に、何か日本とは思われない、不可思議な魅力を添えるようだった。
オルガンティノは寂しそうに、砂の赤い小径を歩きながら、ぼんやり追憶に耽っていた。羅馬の大本山、リスポアの港、羅面琴の音、巴旦杏の味、「御主、わがアニマ(霊魂)の鏡」の歌――そう云う思い出はいつのまにか、この紅毛の沙門の心へ、懐郷の悲しみを運んで来た。彼はその悲しみを払うために、そっと泥烏須(神)の御名を唱えた。が、悲しみは消えないばかりか、前よりは一層彼の胸へ、重苦しい空気を拡げ出した。
「この国の風景は美しい――。」
オルガンティノは反省した。
「この国の風景は美しい。気候もまず温和である。土人は、――あの黄面の小人よりも、まだしも黒ん坊がましかも知れない。しかしこれも大体の気質は、親しみ易いところがある。のみならず信徒も近頃では、何万かを数えるほどになった。現にこの首府のまん中にも、こう云う寺院が聳えている。して見ればここに住んでいるのは、たとい愉快ではないにしても、不快にはならない筈ではないか? が、自分はどうかすると、憂鬱の底に沈む事がある。リスポアの市へ帰りたい、この国を去りたいと思う事がある。これは懐郷の悲しみだけであろうか? いや、自分はリスポアでなくとも、この国を去る事が出来さえすれば、どんな土地へでも行きたいと思う。支那でも、沙室でも、印度でも、――つまり懐郷の悲しみは、自分の憂鬱の全部ではない。自分はただこの国から、一日も早く逃れたい気がする。しかし――しかしこの国の風景は美しい。気候もまず温和である。……」
オルガンティノは吐息をした。この時偶然彼の眼は、点々と木かげの苔に落ちた、仄白い桜の花を捉えた。桜! オルガンティノは驚いたように、薄暗い木立ちの間を見つめた。そこには四五本の棕櫚の中に、枝を垂らした糸桜が一本、夢のように花を煙らせていた。
「御主守らせ給え!」
オルガンティノは一瞬間、降魔の十字を切ろうとした。実際その瞬間彼の眼には、この夕闇に咲いた枝垂桜が、それほど無気味に見えたのだった。無気味に、――と云うよりもむしろこの桜が、何故か彼を不安にする、日本そのもののように見えたのだった。が、彼は刹那の後、それが不思議でも何でもない、ただの桜だった事を発見すると、恥しそうに苦笑しながら、静かにまたもと来た小径へ、力のない歩みを返して行った。
× × ×
三十分の後、彼は南蛮寺の内陣に、泥烏須へ祈祷を捧げていた。そ…